息子が小さいころ、私はよく「過保護だね」とか「神経質すぎじゃない?」と言われていました。
初めての育児で、何が正解かなんて分からないまま、毎日手探り。
「そうかもしれない」と思いながらも、やっぱりどこかで、戸惑いや違和感を抱えていました。
「そんなにしなくても大丈夫」と言われたけれど
たとえば、保育園で靴下を履かせると「自分で履けるように待ってあげてください」と言われたり、
スプーンで食べさせていると「練習させてください」とアドバイスされたり。
お風呂では、目にお湯が入らないように慎重に洗い流している話をしたら、
「うちは気にせずバシャっと頭からかけちゃってたけど全然大丈夫だったよ」と言われて、
“そんなものなのかな…”と戸惑ったこともあります。
出かける直前に息子が遊んでいた大きなおもちゃを、泣き叫ぶのを避けるために車に持っていったとき、「えっ、そこまでするの?」と驚かれたこともありました。
でもその時の私は、“今無理に取り上げたら、この子はどうにもならなくなる”って分かっていたから、
どうしても、そうするしかなかったんです。
「甘やかしたかった」わけじゃなかった
本当は、どれも「そうしたかったからやっていた」わけじゃありません。
たとえば靴下も、息子はそもそもやろうとせず、ずっと手を動かさないまま時間だけが過ぎていって、
何も進まなくなってしまっていました。
「今これを無理にやらせたら、きっと余計に動けなくなってしまう」
そんな感覚があったから、その都度「今はやらせないほうがいい」と判断してきました。
でも、周りの人から言われると、
「私の育て方、間違ってるのかな…」と、自信をなくしていったのも事実です。
娘を育てて、やっと分かったこと
今、下の娘を育てていて思うのは、
子どもによって、できるタイミングも、支援の必要な部分も全然違うということ。
娘は靴下も自分で履こうとするし、スプーンも「やってみたい」と前向きに練習します。
お風呂でも、お湯が少しかかってもすぐに泣き止むし、
おもちゃも「持っていけないよ」と言えば、少し泣くだけで切り替えられます。
そういう姿を見ていると、
「あの時の息子に合わせていたのは、甘やかしていたわけじゃなかった」
ということが、ようやく腑に落ちたのです。
でも、あの頃の私はずっと揺れていた
当時は、周りの声にも耳を傾けながら、
「やっぱりやらせたほうがいいのかな」「厳しくしたほうがいいのかな」と、何度も迷っていました。
アドバイス通りにやってみても全然うまくいかず、
「私がダメなんじゃないか」「この子をちゃんと育てられないんじゃないか」と落ち込んだことも、一度や二度ではありません。
最後に——普通の育児が通用しないこともある
今なら分かります。
私が迷っていたのは、育て方が甘かったからでも、心配しすぎたからでもなくて、
“普通の育児が、この子には通用しなかったから”なんだと。
当たり前のように語られる育児の常識や、マニュアル通りの対応が、
特性のある子にはフィットしないことがたくさんある。
でも当時の私はそれが分からなくて、毎日揺れ動いていました。
これが正解だったかどうかなんて、今でも分かりません。
でも、あの頃の自分にひとつ言えるとしたら、
「あなたは、ちゃんとその子を見てたよ」
そう伝えてあげたいです。