育てにくさを感じた日々から、診断・療育・就学まで

子育てのこと

息子が生まれてから、私たち親子はたくさんの迷いや試行錯誤を繰り返してきました。
少し長くなりますが、ここまでの歩みを8つのステップでまとめてみたいと思います。

① 保育園で最初に感じた“ちがい”

生後6ヶ月で保育園に通い始めた頃、先生から
「おもちゃを舐めることが多い」「なかなかお昼寝ができない」
と言われるようになりました。
周りの子と比べて、“できないこと”が目立つと感じ始めた最初の頃です。

② 毎晩の寝かしつけが地獄だった

自宅では寝ぐずりが激しく、2〜3時間かけてやっとのことで電池が切れたように眠る毎日。
夜が来るのが怖いほど、寝かしつけは私にとって恐怖の時間でした。

③ 他の子ができることが、できない

2歳を過ぎる頃から、塗り絵や椅子に座るなどの活動で
「他の子はできているのに、なぜうちの子は…」という場面が増えていきました。

でも、まだ小さな子に“ちゃんと座る”とか“みんなと同じように動くこと”を求められること自体に、
私はどこか違和感を覚えていました。

息子の様子も、当時は「この子の個性かもしれない」という気持ちが強く、
「なんでこれが“問題”になるの?」と感じる場面も多かったんです。

そんな思いを保育園の先生に伝えることもありました。

④ 行事で浮き彫りになった違和感

運動会のダンスでは、息子だけがほとんど踊れず、
参加型のコンサートでも返事やダンスを真似しようとしない姿に、私は強い違和感を覚えました。

担任の先生に相談したところ、
「行ってみてもいいと思いますよ」と背中を押していただき、発達センターを予約。
実際に受診できたのは、3ヶ月後のことでした。

⑤ ようやくたどり着いた“療育”への道

K式発達検査では「問題なし」との結果。
2か月に一度の相談を続けていたものの、なかなか状況は変わらず、1年ほどが過ぎました。

そんなある日、電車でたまたま隣に座った
発達障害のお子さんを育てているママとの出会いが、私の気持ちを大きく動かしました。

「小学生になって問題が起きてからじゃ遅いのよ。今のうちにちゃんと親から動いたほうがいいわよ」
——そんなふうに強く背中を押してくれたのです。

ちょうどその頃、言語理解の検査で1歳3ヶ月相当の遅れがあることが分かり、
あらためて発達相談センターに療育を希望する旨を伝えました。

そこから、言語聴覚士さんとの月1回の個別療育がスタートしました。

⑥ 少しずつ変わってきた日常

通っていた保育園系列の個別療育にも週1回で通うことになり、
息子の興味に合わせた関わりの中で、人とのやり取りに少しずつ興味が出てきました。

それまではひとり遊びばかりだった息子が、
遊び場で他の子を誘って「鬼ごっこしよう」と言い出したとき、
心から「療育に出会えてよかった」と感じました。

年長の夏頃からは別の療育施設に通い始め、
個別に加えてグループでの活動も経験しました。
小さな成功体験を積み重ねながら、
「望ましいふるまい」を楽しみながら覚えていくことで、少しずつ自信をつけていきました。

⑦ 凸凹のある知能と、自閉スペクトラムの診断

年長の5月にはWISC-IVによる知能検査を受け、IQは120という結果に。
一方で処理速度は平均よりやや低く、いわゆる“凸凹”があるタイプであることが分かりました。

その結果やこれまでの支援記録などを元に、
年長の9月、正式に自閉症スペクトラム(ASD)と診断を受けました。

⑧ 普通級への進学、悩んで出した“今の選択”

小学校への進学を前に、普通級か支援級かは最後まで悩みました。

医師からは
「大きな困りごとはなさそうなので、普通級から始めてみても良いと思う」
とアドバイスを受けました。

息子自身も「友達と同じクラスに行きたい」と話しており、
普通級が特性のある子にとって
決して楽な場所ではないことを理解した上で、
私たちは
“まずは普通級で始めてみる”という選択をしました。

まだ1か月程しか経っていませんが、授業のペースに合わせられないなど問題が発生しており今後どうしていくか検討しています。

最初から情緒級に行っていればよかったのかもと思うこともありますが、息子が授業がつまらないといいながらも楽しく学校に通えているのはクラスにたくさんのお友達がいてその子たちと休憩時間に過ごす時間が楽しいからなのかもと思うこともあって、なかなか悩ましい問題に直面しています。


以上が、息子と私たち家族が歩んできた道のりです。
もし、似たような気持ちや迷いを抱えている方がいたら、
「自分だけじゃないかも」と思ってもらえたらうれしいです。

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